昨日、7月3日発刊北國新聞紙上「時鐘」にある記述に誤りがあると皆様にお伝えいたしました。
早速、北國新聞社の担当の方より連絡があり、誤った内容であったと連絡されてこられました。柔軟な対応に感謝いたします。早速、5日付けのコラムにそのことが記載されておりました。
この様な対応に、北陸を代表するメディアでもある北國新聞、ますます好きになりました。それだけではなく、潜伏キリシタンに対する世界遺産に関連して、この金沢にあった出来事を短くまとめてもいただきました。この卯辰山における潜伏キリシタンの歴史も、長崎と関連付けて世の人々に知らしめることが出来れば、それは素晴らしいことだと思います。
その潜伏キリシタンの現況を世に知らしめたオズボーン、パーシバルの英字新聞への投稿をきっかけに、1613年から始まったキリシタンが「邪宗門」だということでの排斥を終了させ(もっとも内実は対外国諸勢力への対応に過ぎなかったのですが、それでも邪宗門の高札を取り除く原因となったわけで、大きな歴史が動く一番のきっかけとなった出来事がこの金沢にあったわけです。
ぜひとも、金沢としても卯辰山開拓に関した歴史的考察と、その後の歴史に着目して行けたらと思います。
幸い、潜伏キリシタンが配流されても多数のキリシタンたちを受け入れるだけの施設がどうしてあったのかということを確認できる「卯辰山開拓録」をギャラリーとしても入手することができました。キリシタンたちが金沢に配流されるためには、彼らを収容できる施設がなければなりません。
その施設がすでに卯辰山内に点在してあり、そこに収容されたということが、ただの偶然によってそうなったということではないことを覚えます。皆さんはどう思われますか?
ところで、高山右近の陣中飯を食べる会ですが、まだ余裕がありますので、ご希望の方はどうぞご連絡ください。