百万石まつりの数日前、館長はまたまいどさん事務局からの依頼を受け、外国のお客様を案内してまいりました。
リタイヤされたアメリカからのお客様たちで、兼六園の水の流れに感激をしていたので、
『この水はその昔、一人のキリシタンの努力に依って実を結んだ結果だ』
と説明しました。
そこで彼らの質問のスイッチが入ってしまい、金沢にキリシタンたちがいてその人々が金沢の街の礎を作ったのだとお話しいたしました。兼六園の噴水に驚き、兼六園から道を隔てた金沢城まで水がどうやって流れていくのかという説明にも驚き、その昔にそんな技術が日本にあったのかという質問でしたから、それは南蛮、すなわち西洋の技術が金沢にも導入された結果であり、その中心に高山右近がいたのだということをお話しいたしました。
日本人の方々にもそんな話をするのには結構大変なのですが、まして英語で説明すると言うことは灰色の脳みそをフル回転させねばなりませんので、その夜はバタン・キューで寝入りこんでしまいました。今度、英語できちんと説明できる高山右近の足跡を紹介する文章を作成しなければと思いました。
なお、昨日の百万石まつりでは、行列のあとの踊り流しにまいどさんとして参加!
がんばりました!!
その他行列の様子↓