みなさま、クリスマスおめでとうございます!
今から411年前、つまり慶長13(1608)年のクリスマス、金沢の高山右近邸では沢山の人々がクリスマスのお祝いに駆け付け、そこで右近からの振る舞いの食事をしています。
その食事が余りにおいしくて、後に人々はそのおいしい食事を真似して自分たちでも食べるようになったのです。それがあの治部煮として金沢に定着していったはじめの一歩だったのです。キリスト教が禁じられても、人々は誰がこの食事を始めたのかは不明とさせていきましたが、その食事だけは食べ続けられていったのです。
でも、どうして高山右近はクリスマスの祝いに沢山の人々を招いて振る舞いをしたのでしょう。その年はいつにもなく高山家にとっては悲しい年でした。
彼の家族が立て続けに召されていったからです。本来なら家族の死は「喪」にふすべきことなのでしょうが、祝いの席を設けた高山右近の心には、死んでいった者たちを辱めるということなのではなく、むしろ自分もいつかは家族たちが行った「パライソ」に自分も行き、そこで再開できるという思いを強く持っていたからなのではないでしょうか。死は終わりではなく新しい始まりなのだと信じていたのです。だからこそ、自分も信仰のゆえに殉教をすることを厭わなかった、むしろ進んでそうなろうと努めようとした姿を高山右近に伺うことができます。
死ぬことを恐れず、新しい命のために今を生きようとする、そしていつか先に召された者たちと再会を果たすということを希望にしていたからこそ、いつにもましてクリスマスを祝う気持ちが強くなっていたのではないでしょうか。
聖書の中に偉大な伝道者であるパウロという人が、こんな言葉を残しています。
「生きることはキリスト。死ぬことも益です。(ピリピ人への手紙1章21節)」
高山右近もまたこの聖書の言葉を大切に思っていたのでしょう。「死ぬことも益」とは自死を奨励しているのではありません。また、死に物狂いているということでもありません。人の生死の根本が何であるのかということを良く考えよと言うことではないでしょうか。私たちの生きる意味がどこにあるのかを良く考えよということです。
年末年始の忙しい中ではありますが、ふと立ち止まって考えてみてもいいかもしれません 。